久しぶりにラグビーボールを蹴りました。
5月13日、ラグビー共和国に近鉄ライナーズ所属のFL中井太喜選手逝去の記事が掲載されました。→こちら
しかしこの時点で死因は不明。
若過ぎるという思いだけでしたが、昨日(5月15日)付の朝日新聞朝刊スポーツ欄(自由自在のコーナー)に、「もう1回グラウンドへ、がんと闘ったラガーマン」という記事が掲載されました。
(以下転載)
ラグビー、トップリーグ近鉄に所属するフランカー中井太喜(たいき)選手(24)は将来を嘱望されたタックラーだった。
2年目の昨季は先発に定着し、公式戦15試合に出場。12日に亡くなるまでがんと闘い抜いた。
突然の宣告だった。今年4月10日。腰の痛みを感じ、病院で検査を受けたら、腫瘍が見つかった。詳しい検査で胃がんとわかったが、すでに体中に転移していた。
手遅れの状態だったが、取り乱すことなく兄直道さん(28)に「原因が分かったんだから潰すだけや。必ずもう1回グラウンドに戻るから」と話したという。
ラグビーを始めたのは大阪・啓光学園高の時。バスケットからの転向だ。エリートぞろいの同校で初心者はほぼ皆無だったが、黙々と練習し、2年生で「花園」に出た。京産大では3年生から頭角を現した。
大西健監督は「その頃、お父さんが病院になって。『お前が頑張ることがお父さんのためや』と言ったら、本当に一生懸命やった。辛抱強い子だった」と振り返る。
昨年4月10日、父昭彦さんを亡くした。ちょうど1年後に自分の病気が見つかった時、「お父さんが教えてくれたんや。絶対に戻る」と家族に誓った。
闘病生活は約半月。手術も抗がん剤治療も出来なかったが、「大丈夫。戻る。勝つ」と下を向かなかった。
大きな相手へのタックルを恐れない選手だった。「病気を怖がらず逃げなかった。みんな、『太喜はラグビーと一緒やな』と言ってくれた」と直道さん。
13日の通夜に約500人、14日の葬儀に約300人が駆けつけた。近鉄や京産大のジャージーとともにひつぎに眠る弟に、直道さんは「またな」と一言、声をかけた。
(野村周平)
朝から泣きました
まだ若いのに。。。
これからという時期に。。。
将来有望なラガーマンが。。。
久しぶりに、平塚競輪場横の空き地でラグビーボールを蹴りました。
理由はうまく言葉にできません。
どうしようもなく無念に思うだけです。
ハードタックラー、それが亡き中井選手へ向けられた最高の褒め言葉であることを、ラガーマンなら理解してくださることでしょう。。。
お悔やみ申し上げます。
おかげさまで昨日の箱根かれー心取材も無事終了。
熱くなりながらも、冷静に仕事をこなすのは年の功
今日も自分なりに、一生懸命頑張ります
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コメント
おはようございます。拝見しました。すごく悲しいニュースでしたよね。ブログ拝見してまた思い出され涙が溢れてきました。
平塚にお住まいなのですね。私も2月までおりました。
ほかのご記事も拝見させていただきます。
o(^-^)o
投稿: misacchi | 2014年12月27日 (土) 07時30分